21年春の私

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こう話してくれたのは

会ったことも

喋ったこともない

遠くにいる人たち

 
この答を聞いてくれそうなあなたたちは遠くにいることが

寂しくて

この答をあなたたちに話すことさえ「どう思われるのだろう」

と怖くなる自分が情けなく、申し訳ない

 
それに、歳を取れば取るほど

現実が見えて

目を背けちゃいけないと思って

他人の目や声が気になって

本当の自分の声が何なのかすら分からなくなる


気付くのが、声をあげるのが遅かった と

 
「それが大人だ」という自分と周り

それは自分の声を塞いできた人たちがあげる声だということもわかる。それが良いか、悪いかは人それぞれの価値観によるし、おそらく長いこと葛藤しながら進んできた人もたくさんいるだろう。だから否定はできない。し、気持ちは分かる。

 


でもそれに抗いたい自分がいるのも確かだった。

 


心の向かないものを手放すのは幼稚なんだろうか。

そこには周りが納得する理由や、次に向かう熱い想いがないとだめなんだろうか。

 


市内の高校に行けば

大学に行けば

何か熱中できるものが、自分に合うものが見つかるかもしれない

 


見つかっただろうか

自分はどうすればよかっただろうか

これから自分はどうするべきだろうか

どうしたいだろうか

 

これでいいのかと疑問を抱きながら進んだ先に

納得のいく光が見えなかった

未来が怖いのだろうな

 

何が起こるかなんてなんてほんっとーーーーーに

分からないのに。いくら科学が進歩したってきっと

それは人知の及ばないことだよ。なのに恐れるなんて滑稽。

そういう人間になってしまったんだろうな。

 

でも正直今は単位とか、卒業とか大卒みたいなものを失うことにそこまで大きな恐怖はない。

むしろやっぱりどこか重荷だった。

 

高校3年の時のノートに

「やっぱり『何で大学行くんだろう』って思ってしまう」

と書いてあった。そうだね、大学に入ってからも、今もそう思う時がある。大学は何かを学びたくて、何かを学ぶために行くところなのにその「~たい」がない奴が通っていていいんだろうかと。私がもらう奨学金、授業料を免除してもらうこと、もっとふさわしい人がいるんじゃないかと。

 

大人はきっとこう言うんだろう

 

そう思うならやめろ

ふさわしい人になるために続けて勉強しろ

大学は卒業しといた方がいいぞ

 

とかって。

正しいよね。私より長い人生を経験した大人がいうことだもん。

 

でもなんか苦しいんよ。

分かるけど、分からないことが怖くて。

いっしょに答えを見つけてほしかった。

声を聞いてほしかった。

 

でも、ほら、またここで他の声が聞こえる

答えは自分で見つけろ

お前の弱さだろ

って。

 

こうやっていつからかどこからか作り出した虚像の声に従って生きてきた気がする。

 

もうここまできてしまって

これからそれに逆らえるのか

そもそも逆らっていくことがいいのか

分からない

 

でも飲み込まれたくない。

というか一度はレールから外れてみたいという

好奇心。(ここにきて好奇心かよ!)

 

 

 

 


22歳 大学生

 


ここにきて反抗期か

 


社会への反抗期なのか